福島の親たちの思い

当会では、福島原発事故から3年を機に、過去に保養に来ていただいた方にお願いして、現在の状況や思いを書いていただきました。ご本人の了解を得ることができた思いを少しずつ掲載していきたいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2015.3公開

〇食べ物の状況・・・安心安全キャンペーンばかり、幼稚園が利用している給食(私は利用していません)は、線量すら測らなくなった。せめて、安心かは自分で決めたい。              環境・・・昨年の秋頃から、自宅周辺の除染が始まりました。まずは、小学校近くの空き地に除染で出た土が大量に運ばれてきて次にそこに穴を掘って埋められました。自宅裏の田んぼの稲刈りをしている何枚か隣の田んぼでは、除染していました。小学生が通学する道を普通に除染作業をしていて、その作業車があたり前のように通っています。子どもがその埃や土を吸ってもいいんでしょうか?除染前の数値が書いてあるのは、何の意味があるのでしょうか?こういう小さな違和感すらもあまり感じられなくなってきた自分自身も嫌です。時々感じる違和感を忘れずに子どもを守らなくてはいけないと思います。                                                働くこと・・・郡山市で暮らすには仕事も必要です。でも、保養を考えると働けない。働き方をすごく悩んでいます。自分がやってみたいこと、保養、仕事、お金・・・とても難しいです。                       .福島県郡山市   母(小学生・幼児)

 

〇保養に行くことを周りの人(子ども関係の友人)に言えない。保養に行っても、福島の他の地域の方から、「いわきは線量が低いから、良いよね」と言われ、保養に行くのが苦痛になってきてしまう。                     福島県いわき市  母(小学生2人、幼児)

 

〇震災から、間もなく4年、福島でも事故前と何も変わらない生活に戻りつつあります。当初、1、2年マスクをしていたり、外での活動を制限していたりでしたが、今は周りにそんな子はいません。インターネットで色々な情報を目にすると気が引けます。今は、米や野菜を遠方から取り寄せ、子どもの長期休暇に合わせて1週間程度の保養に参加させてもらっています。保養先で知り合ったお母さん方の話を聞いて、「まだまだ安心している場合じゃないんだな」と感じさせられます。最近、また甲状腺がんのニュースを目にし、他人事ではなく、不安に思います。                     .福島県福島市    母(小学生、幼児)

 

〇震災時、4歳と1歳だった子ども達も、もうすぐ4年生と1年生になります。自分の無知のために、水や食料を求めて、外で長時間並んでしまったり、自転車や移動してしまったことを今でも悔やんでいます。色々な保養に参加したりもしましたが、子どもが成長するにつれて、それも難しくなってきました。子どもにとっては、10年後、20年後のことより、今現在の生活が一番重要なのだと感じています。習い事を休んだり、学校の友だちと遊べなかったり、子どもには辛いことのようです。遠くの保養に行くより、家の近所で日々遊びたいという望みを叶えてあげられない環境が悲しいです。家の周辺は、まだ除染も終わっていません。日本中で保養キャンプを開催して頂けるのは大変ありがたいです。異年齢の子ども達がふれ合うことは子ども達にとっても親にとっても貴重な経験だと思っています。          福島県福島市    母(小学生、幼児)

 

 〇震災以降、自宅付近の側溝上げをしていません。汚泥の処理(行き場がない)が出来ないからだそうです。線量計で表面的に計り、そんなに高くないのだとは確認したものの、夏には臭いがこもったり、そこから発生する蚊や虫等はどうなのかと心配はなくなりません。また、震災前には、庭で家庭菜園をしたり、草むしりも子ども達と一緒に自然体験として普通にしていました。市内で採れた野菜等は勿論安全だと言われているし、作っても大丈夫だと言われますが、やはりためらってしまいます。でも、安心できる遠い地で応援してくれる人達と一緒にふれ合って自然体験をさせることが出来る・・・そんな機会を与えてくれる人達に感謝しています。笑うことは免疫を上げると言われます。保養は、そんな時間でもあると思います。個々で考え方は違いますが(その違いで嫌な思いも沢山します)、自分は自分で子ども達のために出来ることをしていきたいと思っています。                    .福島県いわき市   母(小学生2人、幼児)

 

〇保養は、春休みや夏休みなどに少しでも長く、放射能が低いところで自然に触れさせたくて、連れていくようにしています。まだ、下の子が小さいので、子どもだけの保養に出すことも出来ず、親子での保養を探していると対象年齢で下の子は大丈夫だけど、上の子は対象外だったり、また、逆の場合もあり、母子4人で申し込めるものにも限りがあります。また、春休みや夏休みの期間、仕事を休むこともできないので、(保養に行くことを考えると)短期の仕事しか出来ないのが、今、困っていることです。            福島県郡山市   母(小学生、幼児2人)

 

 〇震災当時、6才と3才の娘を連れて、1か月程度の一時避難はしたものの長女の小学校入学のタイミングで自宅に戻りました。家族で話し合い、何度もぶつかり合い、必死で夫を説得し、移住を考えた時期もありました。「母子避難」という選択肢もありましたが、どうしても家族がバラバラになる選択肢を選ぶことができませんでした。福島で生活すると決めた以上、放射能から子ども達を守るために親としてできる限りの努力をしようと覚悟を決めました。震災からもうすぐ4年・・・覚悟はしたものの、1日でも多く、汚染されていない所へ「保養」へ行かせたいとその思いが常に頭から離れません。子ども達は、地元ではほとんど外で遊ぶことはありません。公園で遊ぶ時は、線量計を見ながら、限られた時間しか遊ぶことができない日々を過ごしています。自宅の庭にも線量が高い場所があり、それを知りながら、通らなければならない場所があります。通学路も除染しておらず、そこを毎日通学しています。当たり前のようにのびのびと外で遊ばせてあげたい。砂や草花を何も気にせずに触らせてあげたい。自然の空気、風、においを思いっきり感じてほしい・・・そんな思いもあり「保養」に出るようにしてきました。福島を離れ、線量の低いところで過ごすことで、少しでも子ども達の身体に将来、悪い影響がでないことを願いながら…。今でも、子どもの長期休業や週末に合わせて、受け入れてくださる保養先を必死になって探します。保養先が見つかると、心から救われた気持ちになります。地元では、放射能への不安、心配事など、口にできない状況です。考え方にも温度差を感じます。そんな中、遠く離れた地に福島の子ども達のことを考え、心配し、支援して受け入れてくださるところがあるということに大きな力をもらえます。夏に2週間、北海道で過ごさせて頂いて、本当に多くの方々に支援していただいていることを知り、感謝の気持ちで一杯になりました。福島に戻っても、また、頑張ろうと思うことができました。どうか、    これからもご支援していただけることを福島で子育てをしている母親として切に願います。                    .福島県いわき市  母(小学生2人、乳児)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.10公開

〇3年が経ち、まわりもあまり放射能に関して気にしなくなっていると感じます。実家でも(二本松市)、自家製の野菜を普通に子どもに(孫に)食べさせようとしますし、私に持って帰らせようとします。(家に帰って、こっそり処分します。)外遊びも気にせずにさせてる人も沢山います。目には、見えないものだし、実際、まわりに具合が悪くなっている人もいない・・・と危機感が薄れてきているというか、「大丈夫なんじゃない?」みたいな。「気にしすぎ」みたいに言われることもあったり・・・。でも、3年経っても、放射能が消えた訳ではないし、いろいろ出てくるのは、これからだと思います。もちろん、私と同じような思いの方も沢山います。個々の温度差?というのでしょうか、そういうものを感じています。        福島県本宮市 母(幼児)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・2014.6公開 

〇ガイガーカウンターの電源を入れれば、音が鳴り続け、風が強い日は降下物が多く観測される。大豆や干し柿、きのこ、魚など、すぐ近くでとれる食品からは、未だ多くのセシウムが検出される。生活の中にはいつも放射能があります。何故、自宅で心穏やかに暮らすことができないのでしょう。いつまで続くのでしょう。疲れました。放射能のないところへ行きたいのです。ほんの数日でも家族で安心して過ごしたい。遠くへ行きたい。 福島県福島市 母(中学生、小学生)

 

〇やっぱり日々感じることは、放射能に対しての不安です。子どもの成長に影響がどうなるか、誰も知らないし、ここに残って迷いながら、生活しています。時間が過ぎるのを待つしかない福島の人の声、無念さを全日本、全世界に知ってもらえれば、ありがたいです。子どもたちの外遊びに対して、福島の水とかに対して、ママ達の温度差、考え方、それぞれ違います。自分は、バカみたいです。ついに最近そう思います・・・。震災から3年を経った今も放射能と闘っています。懸命に生きています。                 福島県二本松市      母(幼児)

 

〇仕事を始めてしまったので、休みが取れない。4月から、小学生になるが長期休みに3~4日程度で子どもだけでも受け入れていただけると、とてもありがたい。母子家庭なので、毎年保養に出したいが、金銭的に厳しい。            福島県          母(幼児)  ※子どもだけの保養を行っている団体に「ふくしまキッズ」があります。ここは、小学1年生から参加でき、自然体験を中心にしたプログラムがとても充実しています。

 

〇震災から3年経ち、当時5歳だった息子ももう7歳で、後数年したら、保養も子どものみの参加を考えなければとは思うものの、正直、子どもを一人で保養に送り出す勇気がありません(私も保養につき合えるほど、休みも取れないので)。余計な心配ばかりしてしまいます(ケガや悪い友人ができないかなど)。しかし、どこかで割り切って、子どもだけの保養も視野に入れなければとは思いますが、例え一時でも息子と離れるのはさびしい限りです。 福島県郡山市  母(幼児)

 

〇昨日、息子の参観日でした。その保護者会で「あの子たちは、校舎を最初は他の学校に間借りして、その後、仮設に移ったものの体育館はない、プールもない、そんな中で今まで来たんです。来年の卒業式ぐらいは文化センターでさせてあげて下さい。」という方がいました。すっかり今の状態が当たり前、普通になっていて、クラブ活動もサッカー部も水泳部もバスケ部もない、ただの体育部が1つ。除染をしたというグラウンドの状態が悪い時の体育は、体育館がないのでありません。プールは年12回で泳げないし、自転車にも乗れません。担任の先生も5年生の肥満が特に顕著であると言っていました。子どもは遊ぶことが楽しいはずなのに、保育園、幼稚園でも半数は、「LaQ」というパズルなどで室内しています。みんな、とても不安であるはずなのに声を上げていうこともなく、‘慣れ’という一言で済ましています。次男は、まさに遊び盛りなので外に出ることを止められず、手入れも除染もしていない草の生えているような砂場で遊んでしまいます。止めると子どもは、ゲームやビデオを見たりするしかないのです。子どもなのに、外での遊び方を知らない子になりそうです。事故当初から、外(県外)に外に出そうとして、今も出す努力をしているのですが、資金的に大変になっているのも事実で、家族5人で1回出れば、2万円(×月4回=月8万円)も掛かります。最初は、お金よりも子どもたちを守ろうと思っていましたが、なかなかそのようなことも言えなくなってきているのもあり、どうにかして、いつもの日常を取り戻せるのだろうと思い悩みます。娘を県外の高校に出そうと思ったのですが、不合格だったので、さらに3年間県内生活となり、成長期の体の変化の著しい時期にここにいることもすごく不安です。周りは幸いにも気にしている人も数人はいるのですが、多くが「気にしすぎ、大丈夫、神経質、少しおかしい?」という感じに見られることも多く、何もできないので、もどかしく、ただただ、311以前の状態に戻りたいと思う今日この頃です。        福島県須賀川市  母(中学生、小学生2人)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014.5公開

〇まもなく3年目です。時が経つのは早いものです。私共の町は、町長をはじめ、議員みな(もちろん何人かは本気で考えてくれていますが)原発事故を過去の事にしてしまい、自分の事だけです。ハンドtoハンドでがんばっていますが、「行政を動かさない」といつも思っていますが・・。保養所はとてもありがたいですが、親が共働きとなると長期、短期共に時間を取ることが大変です。じいじ、ばあばでは、なかなか体力がついていけません。中学生にもなると、部活とか、スケジュールが多いので、これまた時間が取れません。何が大切で何をしなければならないのか、それはよくわかっていますが、 現実、生活がかかると、そちら優先になってしまいます。私共の町は、町の一部が避難区域で特別です。せめて、子どもたちだけは、もっともっと、国や東電の支援(特に金銭面で)が必要です。       福島県○○町   母(中学生2名、小学生〈低〉)

 

・放射線のガンマ線量も、3年近く経ち、落ち着いてきているので、外遊びなどは、させるようになりました。しかし、自然が魅力だったこの地ですが、山などの除染は手つかず。子どもたちを「おもいっきり、何をしてもいいよ!」と遊びに送り出せる環境とは言えず、親の見ている所で言いたくはない「ダメ!それをさわっちゃっ!と言いながら遊ばせる日々です。           また、地産地消を進めようとする学校給食。今から、小学校入学後の事を考えると憂鬱です。(検査を100%していただけるならともかく、今の検査体制だとやはり地元の物を食べるには勇気がいります。)※1                              福島県いわき市  母(幼児、乳児) 1 食品に含まれる放射性セシウムの情報は、福島県版は、ブログ「フクシマン福島レポート(郡山)」が詳しいです。また、福島県以外の全国版は、HP「世田谷こども守る会―厚労省日報ダイジェスト」が詳しいです。これらのサイトでは、基準値100Bq/㎏以下の検出データも見られます。どちらも無料でメール配信を行っています。

 

・ガイガーカウンターの電源を入れれば、音が鳴り続け、風が強い日は降下物※2が多く観測される。大豆や干し柿、きのこ、魚など、すぐ近くでとれる食品からは、いまだ多くのセシウムが検出される・・・。生活の中にはいつも放射能があります。なぜ自宅で心穏やかに暮らすことができないのでしょう。いつまで続くのでしょう。疲れました。放射能のないところへ行きたいです。ほんの数日でも家族でせ安心して過ごしたい。遠くへ行きたい。心を寄せて下さる「守る会」の皆様には、いつも心から感謝しております。     福島県福島市   母(中学生、小学生〈高〉)※2 原子力規制委員会発表の「環境放射能水準調査結果(月間降下物)」によると、      .セシウム134137の合算で、事故から3年間、下記の都県では毎月降下し続けている。(あくまで観測地点の話です。) 2013.12月のデータでは、①福島県1657Bq/㎡、②茨城県9 、③栃木県5.9、④宮城県4.7、⑤群馬県4.2、⑥千葉県3.9、⑦東京都3.4、⑧埼玉県2.42、⑨神奈川県2.16、⑩山形県1.26、⑪長野県、⑫静岡県、⑬山梨県、⑭新潟県の順に降り注いでいます。                                        b.福島県双葉郡では、2011.3月は6,440,000Bq/㎡でした。                       .札幌市は、2011.49月(最大11.7)、2012.36月(最大0.24)に降り注いでいました。最近では、2013.40.06650.36 を最後に観測されていません。               

 

・福島では、外遊びはまだまだ不安でさせていません。特にまだ食材も県外産の物を食べさせています。北海道産であれば、安全です。(但し、魚については疑問が残ります。※3)安全な食材を新鮮で安く提供して下さるところを教えていただくとありがたいです。(線量の高い)自宅の学区には通わせたくないので、長男も長女も(自宅より線量の低い)実家の学区の中学校と小学校にそれぞれ通わせています。          福島県福島市    母(中学生、小学生〈中〉)※3 骨に蓄積する放射性ストロンチウム90(半減期約29年)の検査が事故後3年経っても、まだ行われていない。「ホワイト・フーズ」さんが放射性ストロンチウムを測って魚を販売しています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014.4公開

・食料品、野菜を購入するのに近県のものしかスーパーには置いていないので、遠方のものが手に入りにくい。インターネット等に頼って、購入するしかない。                 保養そのものが減っている中、個人で自由に利用できる保養所がほしい!他にも「自然の家」等の個人利用が可能になると嬉しい。保養に出掛けている子、そうでない子の差がでてきている。子どもの体力の低下が目に見え、また、のう胞も確認された子が増加してきている。うちの子もその中の一人である。                     福島県いわき市   母(幼児)

 

〇驚くほど放射線を気にしている人が周囲にいません。職場でも友人の間でも、全く話題になりません。むしろ、「そろそろ山菜食べたいよね。“出てない”のに何で出荷できないのだろう。」と、食品の出荷基準である100ベクレル/㎏以下は、“出てない(=放射性物質が入っていない)”という認識です。我が家では、地元の米を検査に出したら、3ベクレル/㎏あったので、毎日のものだからと、遠方の米を購入しています。こういう環境にいると気にしている方が頭がおかしいように思えます。 そして、自分の中でも風化してきているように感じます。原発は、絶対に止めなくてはならない。とんでもないゴミを未来に残すものであることをもっともっと声を出して、皆で考えていかなくてはならない問題だと思います。今のこの日本の状態があまりにおかしいと思います。二度とあんなに怖い思いをしないよう、生活を奪われる人達が出ないよう、原発の問題に無関心でいてはいけないと思います。でも、地元でこんなことを話したら、本当に白い目で見られます。   ・                       岩手県一関市※1   母(幼児、乳児)                      1 当会は、主に福島県に住む親子を対象に保養を受け入れていますが、余裕がある場合は他の地域の親子も受け入れています。

 

〇4月から次男が入園するので、二人とも幼稚園で過ごす時間が長くなります。これから私も少し仕事をすることになったので、子どもたちを長い期間の保養にはあまり連れていけないなと思っています。でも、短い期間であれば主人も一緒に行けそうかなとも思っています。水道水は、市では「安全!安心!大丈夫!」と言っていますが、子どもたちには、「水道水を飲んじゃだめ」と言っています。私がたまに水道水を飲むと、それを見た子どもたちは、「あっ!飲んだ!」と言って、まねをして飲んでしまうことがあります。「給食だって、外食だって、市の水を使っているし、大丈夫だよね」と思いながらも、心の奥底で「・・・ホントに大丈夫?・・・だよね」とわだかまりが残ってしまいます。普段は、今のところ、まだペットボトルの水や箱入りの温泉水とかを使っていますが、持ち運びやペットボトルや段ボールの処理が大変なので、水道水を直接使いたい衝動に駆られます。でも、都会ほど、お水は買っているようですし、悩ましいところです。※2        普段は、できるだけ線量の低いところで遊ばせたり、少し高いなと思うところには、長い時間いないようにさせています。               福島県福島市    母(幼児2人) 2「環境放射能水準調査結果 上水(蛇口)2013.1012月分」 原子力規制委員会発表①茨城県ひたちなか市  セシウム134 0.0044㏃/㎏ セシウム137 0.011㏃/㎏       ②栃木県宇都宮市    セシウム134 0.0024㏃/㎏ セシウム137 0.0051㏃/㎏      ③山形県山形市     セシウム134 0.0012㏃/㎏ セシウム137 0.0027㏃/㎏       ④福島県福島市     セシウム134 0.0011㏃/㎏ セシウム137 0.0026㏃/㎏        ⑤宮城県        セシウム134 0.00093㏃/㎏ セシウム137 0.0026㏃/㎏      群馬、⑦東京、⑧千葉、⑨埼玉、⑩岩手、⑪神奈川、⑫新潟の順に検出されている。

 

〇原発事故の収束がつかない。思ったように疎開ができない。県外の測っていない食材が結構出回っている。仕事の収入が減ってお金がない。ほぼ周りは、原発事故を口にしなくなった。(意識的に口にしないというよりは風化して本気で忘れてしまっているようです。)それにより子どもたちも外で遊ぶようになってきている。(つられて息子も外で遊ぶようになってきている。)地元民の意識が低くなる中、確実に県外の方々の意識の方が高く、心配もして下さっている。(疎開組に負けないように、地元でも何らかのアクションを起こさないといけない。)                       .福島県福島市    父(小学生)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2014.3公開

〇私たちの住む市は中通りにあり、原発から約50㎞離れていますが、放射線量は決して低くありませんでした。国もテレビも避難区域や計画避難区域のことばかりで、中通りの高い線量の地域でマスクして学校に行く子どもたちの姿を見ると悲しく、どうにもならない現状に辛く苛立ちもありました。家の周りも、0.1~0.2μSv/時に下がった場所もありますが、ただ、食べるものは、今も不安で県内産は買えていません。祖母が、「道の駅」などで、たまに野菜を買ってきますが、「息子には食べさせない!」とキツく言ってしまう時が今もあり、それが辛いです。しかし、そんな中、「福島の子どもたちを守る会・北海道」様をはじめ全国各地で、福島の子どもたちに外遊びを満喫してもらおうと長期から短期の保養を企画し実行してくださる団体様が数多く現れ、子どもたちは外遊びを満喫し、私たち親は、その姿にほっとし、嬉しい気持ちになったのを思い出します。事故から3年、こういった団体様が今も活動してくださることに本当に感謝いたしております。                         福島県二本松市    母(幼児)

 

〇原発事故は未だ現在進行形で、連日、高濃度のベータ核種の漏洩及び作業事故が報道されています。食品や土壌の検査もガンマ線のみの測定しか行われておらず、果たしてこれから成長する子どもたちにどのくらいの影響があるかは数十年経たないとわかりません。そんな状況の中、私たち親ができることは、少しでも被ばくを避けること、免疫力の高い子どもに育てることを目標に日々育児をしています。娘が産まれる前からずっと、多感な幼少期には自然に触れる機会をたくさん与えたいと考えていたので、その権利を奪われてしまってからはできるだけ汚染の少ない地域への「保養」に参加することでしか予防することができません。最近は、保養の企画が少なくなってきているので、この先、なくなってしまったら、どう予防していけばいいのか、想像するのが怖いです。そんな中、北海道での保養所建設のお話は、私たちに勇気を与えて下さいました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。実現できるように切実に祈っています。 福島県いわき市  母(幼児)

 

〇県内産の野菜や水道水は本当に安全で子どもたちに食べさせてもいいのだろうか。そして、このまま福島に居ていいのだろうか。きっと、子どもたちが大きくなってから答えが出るのだろうけど、何事もなく、無事に育ってほしいと日々思ってます。震災後、室内施設が増えたけれど、できたのは幼児・低学年対象が多く、また、どれも不十分な施設ばかりです。また、福島県内を見渡しても室内施設の場所に偏りがあるのも、子どもを持つ親としては不満です。そして、体力がある小学校中学年以上の子どもたちはゲームばかりになっています。親として体力が心配で県外に連れ出し公園で遊ばせているが、毎週はできる金銭的余裕もなく、今後、子どもたちの安全や体力保持のためにどうすればよいのか・・・、様々なことを考えると心配の種はつきません。                                   ・                         福島県福島市  母(小学生、幼児)

 

〇現在私が住んでいる町は、ようやく除染が始まっており、汚染された土が入っている大きな黒い土嚢袋の置き場がなく、民家の庭に置かれたままの状況です。                                   私は仕事で町内のいろいろな所へ行くのですが、除染作業中の場所を通るのがとても嫌です。子どもの通学路で除染しているところや、線量の高い場所があるので、子どもは車で送迎しています。しかし、現在は我が家だけのようです。                                                     子どもたちの給食も、3学期から町内産の米になってしまいました。4月からは野菜も使用するようになるそうで憤りを感じずにはいられません。                                             事故から、もうすぐ3年経ち、線量は下がってきたかもしれませんが、依然、事故前より10倍近く高い線量のこの場所を安全だとはとても思えません。この場所にいると、何が正しいのかわからなくなってしまうことがあります。でも、後悔はしたくないので、危機感を忘れず、これからも出来ることをしていくつもりです。           福島県○○町  母(小学生・幼児)